雨音

情緒などない。脈絡もあまりない。後々の改訂は多々ある。

どうでもいいのは百も承知なんだけど、この漢字一文字って他にどういう単語で出てくるっけと今考えてるけど出てこない。さらにどうでもいいのは百どころか億も承知なんだけど、(その上分かる人もおそらくいないと思うけど)毎回タイトルが漢字一文字なのはネウロの影響です。

 

 

綺麗なものってのは、「存在がおぼろげなもの」であると思うんですね、僕は。綺麗ってのは、例えば死んだ人とか。死んだ人の顔を見て綺麗っていう人がいる。それはおかしくないと思う。感じてる側は生だから確実に存在してるけど、感じられてる対象は存在はおぼろげどころか、もうないよね?多分死体見て可愛い言う人ってあんまいないと思うんだよね(生粋のネクロフィアかな?)。あとは音楽とかもそうだよね、音楽で綺麗と思うものには、音とかもあるけど、僕が完璧に綺麗と思うものは、歌詞に具体性のある単語を入れない。僕が溺愛するラルクの中期バラードがそう。具体性のある歌詞ってのは例えば恋愛とかのをつらつらと書いていく歌詞とか。でもラルクの中期バラードの歌詞ってのは違うんだよね、単語の選び方も具体性を排しているし、ただ二人が失恋したみたいなテイストじゃなくて、例えば僕の好きなsell my soulなら「死んだ恋人の魂を追い求めて輪廻転生を繰り返し続ける」ことが内容で、歌詞の言葉が淡い輪郭しか描かないようにしてる(このテーマも本人達がそうと言った訳ではないけど僕はその捉え方が好きだからそう捉えてる)。だから歌詞に地名とか固有名詞を入れたりされるのも、僕は綺麗で好きな曲だったりすると惜しいなって思っちゃったりする。GEROのIVORYも好きだけど、あれも歌詞の最初の 五丁目八番地 って単語だけが僕は具体性があって好きじゃない。具体性がある歌詞が嫌いって言うより、綺麗なテイストにしてある歌詞には入れないで欲しいって感じかな

 

そうえばルシエル(ラルクのファンクラブ)入会しました。4月8日9日までは何があっても死ねません。